氷河期エンジニア、セミリタイアはじめました

セミリタイアしたけど結局1年でサラリーマンに戻りました

小学生が見たバブル

anond.hatelabo.jp

「日本はドイツを抜いて世界2位になりました、アメリカを抜く日も近いと言われています」

社会の授業で先生が言っているんだ。きっとそうなるのだろう。

私が小学生の頃、日本の未来は凄く明るかった。

来年、私の町にも自然を活かした大規模なリゾート施設が出来るらしい。小さな山を丸々切り開いて作るレジャー施設は、冬はスキー場&スケート場、夏はプールやテニスコートになり、ホテルやショッピングセンターも併設された総合リゾートになるのだという。

年に1回、家族とスキー旅行に出かけていた私は、完成を心待ちにしていた。「これでいつでもスキーに行ける」。

叔父がやっていた小さな町工場は受注が多過ぎて人手が足りなくなってしまったらしい。今まで親族だけでやってきたが、これからは親族以外の人も雇うことになったそうだ。

凄く儲かっていたのだろう。新しもの好きのおじさんの家には、車やコンピューターなど色々なものが次々と増えていっていた。

学校でも、親族からも「お前は良い時代に生まれた」と言われた。私もそう思っていた。その時は。

それから数年後、バブルは崩壊した。

大規模リゾートは途中で計画が変わったらしく、スキー場は結局出来なかった。山を丸ごと切り開くという話だったが、切り開かれたのはごく一部だった。小さなお店は併設されたが、すぐに閉店した。

叔父の工場には仕事の依頼が来なくなった。時々ある小さな仕事でしばらく食いつないでいたようだが、途中であきらめてパートに出るようになった。職人としての仕事しかしていなかった叔父には辛かったようで、パートは長く続かなかった。工場はその時から閉鎖されたままだ。

私が社会に出るころには、日本は不況のど真ん中にあった。同世代の人数が多いため受験戦争は熾烈だったが、就職活動はもっと辛かった。良い時代に生まれたはずが、社会に出た時には氷河期が待っていた。

私たちの世代は子供の頃に明るい未来を見ることが出来た。しかし、同時に明るい未来から暗い現実に叩き落される辛さも味わうことになった。

これは幸せなのだろうか、それとも不幸なのだろうか。まあ、不幸だという人が多いだろう。

ただ、子供の立場からではあるが、バブル時代の「日本凄い!」で一体化した人々の全能感を味わえたのは良かったと思う。あんな信仰レベルの肯定感に包まれた日本を見ることは、この先二度とかなわないのだから。