氷河期エンジニア、セミリタイアはじめました

セミリタイアしたけど結局1年でサラリーマンに戻りました

パチンコで理解した困窮者の精神状態

私は元パチンカスだ。

「パチンコは娯楽、私は純粋に娯楽を楽しんでいるだけで、ギャンブルが好きというわけでは無い」

そんな風に自己正当化していたこともあったが、私はまごうことなきギャンブル中毒者だった。

なぜパチンコをやるのか。理由は簡単で、お金が無いからだ。「お金が無いならなんでパチンコなんかやるの?」と思う人も居るだろうが、お金が無いからこそパチンコをやるのだ。パチンコにはお金を稼げる「可能性」が存在する

給与をもらっても家賃と光熱費を引くと10万円も残らない。食費や日用品を出来るだけ節約しても、会社強制の飲み会があるので3万も残れば御の字。2ヶ月分もらえるはずだったボーナスは会社都合で0.3か月分。

こういった状況が続くと「頑張って3万円づつ貯金してどうなるの?」「欲しいものはどれだけ我慢したら買えるの?」「毎日これだけ働いて食べたいものも食べられないの?」と貯蓄に対して疑問が湧くようになってくる。

1ヶ月睡眠時間を削って、上司の尻拭いをして、お偉いさんのご機嫌取りをして、残るのが3万円。実にくだらない。

怒りと絶望が相まって、冷静な判断力を奪っていく

そうだ、学生の頃スロットで月に10万円くらい稼いでいたこともあったじゃないか。大花火で20万出したこともあったなぁ…。10万あればテレビも買えるなぁ、飲み会にも参加できるように…。

大体7割くらいの確率で負けるのがパチンコなのだが、残り3割の可能性が素晴らしく魅力的に映ってしまう

「負けたら毎日乾麺のそばと卵だけで行けるだろう」

こうして、現状を変えるための希望として、なけなしの3万を握りしめてパチンコ屋に向かってしまうのだ。

もちろん、高確率で負ける。そして、負けた後には更なる怒りと絶望が湧いてくる

安い給与で激務を押し付ける会社に、そんな労働基準法違反を放置している国に、そんな状況の国を選挙で作り上げている社会に、安い給与からガッツリ抜いたお金で年金生活を送る老人に、親が裕福で楽なルートに乗せてもらえた恵まれた人達に、全てに怒りと恨みが湧いてくる。

パチンコに行って負けたのは自業自得でしかないのだが、パチンコに行くくらいしか希望が無い状況にあるのは、会社が、国が、社会が、老人が、豊かな人達のせいでもある。あいつらのせいだ。そういう精神状態になってしまう。

人は困窮すると、自己防衛のために他者にその原因を求めるようになる

自分のせいではない。いや、自分のせいもあるのだろうが、あいつらのせいでもある。

極端な人はそこで自己正当化の報復に出てしまうことがある。あいつらのせいでもある以上、あいつらにも償わせなければならない。自分だけが苦痛を味わっているのはおかしい

時としてそれは凶行となる。

秋葉原の通り魔事件のような凶悪犯罪が起こると、「一人で死ね」という人が少なからず現れる。私も同意見ではあるのだが、困窮時の精神状態を経験した立場から言うと、そんな意見は全く意味を持たないとも思っている。

困窮して凶行に走る人の目的は、自殺ではなく報復なのだ。自分が死にたいのではなく、自分を追い込んだ(と思っている)人たちに仕返ししたいだけなのだ。

私はもうほとんどパチンコには行っていない。パチンコでの勝ち負けが生活に直結しなくなった頃、パチンコを面白いと感じなくなってしまったからだ。

年に1.2回遊びに行ってみたりもするが、負けても全く怒りは感じない。パチンコに行くことを選んだのは自分自身で、負けることもあるのは当然だからだ。しかし、困窮時のことを思い出すと、これは持てる者の考えなのだということがわかる。

持てる者は気づきにくいのだが、社会に欠陥があることは事実で、その欠陥に悪い形ではまってしまった人が困窮するという現実は存在している。自己責任も存在するが、社会にも欠陥は存在し、それが人に大きな影響を与えてしまうということも理解すべきだろう。